例題2 言い換え・比喩 養老孟司『からだを読む』(筑摩書房)
問いに対する答えとして最もよいものを一つ選びなさい。
胃の存在は、しばしば意識される。多くの人が、日常的に「胃が痛い」とか、「胃が悪い」とか言う。だからといってそれが本当とはかぎらない。
指の先が痛いというのは、はっきりわかる。なぜかというと、脳には指に相当する知覚の領野が、ちゃんとあるからである。逆に、脳のその部分に、なにかが起これば、肝心の指はたとえなんともなくとも、われわれは指が痛いとか、かゆいとか、なにかが触ったとか、そういう判断をする。つまり体の表面に関しては、われわれは脳に地図を持っている。体表とは、外界とわれわれの体とを、境する部分だからである。そこはいわば国境のようなもので、脳という司令部は国境で起こることであれば、それが国境のどの部分で起こったできごとかを、明確に把握しているのである。
ところが内臓に関しては、脳にそういう地図はないらしい。そこは本来、「うまくいっている」はずの部分なのであろう。だから、脳はそこに関して、細かい地図を用意していない。それが用意してあれば、胃の小彎側の噴門から約三分の一の部分が痛いとか、幽門部の始まりの部分が輪状に痛むとか、見てきたようなことが言えるはずなのだが、もちろんそれは不可能である。
練習5 エッセイ・幼稚園 岸本佐知子『ねにもつタイプ』(筑摩書房)
問いに対する答えとして最もよいものを一つ選びなさい。
私の通った幼稚園には、幅二十センチほどの帯状の地獄があった。
それは「お弁当室」と呼ばれる部屋の戸口の床の、なぜかそこだけタイルの色が変わっている部分のことで、そこを踏むと地獄に落ちると言われていた。
どんな風に落ちるのかは誰にもわからなかったが、踏んだ瞬間に地面がガバッと裂けて、体ごと底なしの穴に吸い込まれてしまうのではないかというのが、園児たちのあいだでのもっぱらの定説だった。お弁当室には、毎日午に各自お弁当を取りに行かなければならなかったので、そのたびにみんな決死の覚悟で「地獄」を飛び越えた。
練習6 エッセイ・昭和のデパート 長野まゆみ「あのころのデパート よそゆきと、おでかけ」(『yom yom』2010年10月号、新潮社) 注 めかしこむ=がんばって、おしゃれをする
問いに対する答えとして最もよいものを一つ選びなさい。
昭和四十年代の庶民には、家族そろってデパートへ出かけるという日曜日の娯楽があった(平成の今日においては、たんなる買いものにすぎず、娯楽とは呼ばないだろう)。(中略)
そうした日曜日を、子どもは「おでかけ」と呼び、まえの週のうちから「こんどの日曜日」を楽しみにして、ふだん着とはちがう「よそゆき」でめかしこんで家をでる。ハンドバッグをさげ、帽子をかぶり、運動靴ではないエナメルのベルトつきの靴をはく。
昭和四十年代のデパートとは、おとなも子どもも、それなりのおしゃれをして出かけるところだった。このつつましく、ささやかな幸福の感じは、バブル期以降に子ども時代を過ごした人には、まったく伝わらないと思う。昭和四十年代の多くの人々にとってのおしゃれとは、白いものは白く、磨くべきものは磨き、アイロンできちんとしわをのばし、しゃんとすべきときには背筋をのばすことであって、ぜいたくな衣装で着飾ることではなかった。