次の文章を読んで、後の問いに対する答えとして最もよいものを一つ選びなさい。
何もない場所というのは、実は何にでも使える場所である。あの空き地では、夕方になると小学生がボールを蹴り、夏には自治会が盆踊りのやぐらを組み、選挙の時期には候補者が箱に乗って演説をしていた。用途が決まっていないからこそ、そのつど別のものになれた。①この性質を、設計の言葉では「余白」と呼ぶらしい。
ところが余白は、行政の資料の上ではきわめて弱い立場に置かれる。「未利用地」「低利用地」と書かれた瞬間に、それは活用されるべき欠損として扱われる。何に使われているかと問われたとき、「いろいろなことに使われている」という答えは、「特に何にも使われていない」とほとんど同じ意味に受け取られてしまうからだ。数えられるものだけが実績になる。②数えにくいものは、存在していないことにされる。
これは空き地に限った話ではない。学校から掃除の時間や休み時間が削られ、会社から雑談が消え、病院の待合室から縁側のような時間が消えていくとき、削られているのはたいてい、目的が一つに決まっていない時間である。目的が一つなら、その目的に照らして効率を測れる。目的が定まっていないものは、測れないという理由だけで、真っ先に削られる。
もちろん、空き地をそのままにしておけと言いたいのではない。土地には税がかかり、管理には人手が要る。私が引っかかっているのは、そこではない。「何もない」と「何にでもなれる」が、同じ言葉で記述されてしまうことだ。この二つを区別する言葉を私たちが持っていないかぎり、後者は必ず前者として処理される。
必要なのは、余白を守れという主張ではなく、余白を数える方法を考えることだと思う。あの空き地で年に何回、誰が、何をしていたのか。それを記録した紙が一枚でもあれば、説明会での笑いは、もう少し違う音になっていたかもしれない。